神霊学研究会

 私達は此の世(現界)に生を受け、歳を重ね、やがて人生を終えます。如何して此の世(現界)に生まれて来たのだろう?如何して自分の存在が此処に有るのだろう?と考えた事は有りませんか?ついつい自分中心に物事を考え、自分の存在すら当たり前の様に思いがちですが、意味が有るが故に生かされて居ます。
 私達は死んだら霊界と言う所へ行きます。霊界から現界に来て、再度霊界に帰って行く訳ですが、如何してわざわざ現界に生まれて来るのか?現界で生きて居る50年、100年の中で、何を得る(悟る)事が出来るか?・・・・・・其の50年、100年で永遠と続く霊界での住居地が決まって仕舞うと言われます。「貴方ならば?」と聞かれれば、誰もが神の世界に行きたいと答えるでしょうが、其の為に自分が如何に努力出来るか・・・・・・。「誕生」とは、「神の世界から凡夫の居る偽りの世界に生まれ、偽りの中で生きる。」と言う意味が有るそうですが、凡夫(欲にまみれた者)で有る私達は、此の真意に気付いて、心の行(管理)を行う事が神に近付く一番の近道です。目の前の些細な欲には、簡単に手が届いて仕舞います。如何に欲から逸脱出来るか・・・・・・、此が凡夫(欲にまみれた者)に与えられた使命で有るが、なかなか出来無いからこそ、心の行を積ま無くては行け無いのだと身に沁みて感じます。
 現界は現世(うつしよ)で有り、すべて霊界を現(うつ)して居ます。総てが霊界から操られて居るのです。神に通ずる想いの生活を送るのも、地獄魔界に通ずる想いの生活を送るのも、総てが其の人の勝手、其の人の自由で有り、其の人の人生です。其の中で、自分が如何に生きて行くか?が最大の問題です。想いが良ければ神の慈悲も沢山貰え、歓びも結果も大きい訳ですが、其の為には、何時も自分の心を管理して、心を神に向けて行く必要が有ります。人生とは、真面目に純粋に神の道に向かって進んで行くものに、一番得る(悟る)物と者が有ります。現界に居て、何を得る(悟る)のか?神から慈悲を与えられて何を得る(悟る)のか?“真面目で素直で有れば、誰でも神と交流出来る”と言われます。本当に其の通りだと思います。神の愛と慈悲を受けて、此に応えるべく得る(悟る、気付く)事、そして、神の子で有る私達は、やがては神の元へ帰って行くのだと言う事・・・・・・。其の役に気付く事が生涯に於いて一番大切な事で有ります。
 人生を歪ませて仕舞うのは、自分の心一つです。其の結果が病気と成ります。真実に気付いて心の歪みが取れれば、副作用として病気が治り、副作用として運命が好転します。神は、神に近付く努力をした者に、其の結果に応じて慈悲と加護を与えてくれます。努力した者に与えられる物と者です。他力本願は非常に嫌われ、全てが自力で、自分の努力に因って成されます。
 同じ物を見ても、感じ方が人其其違う様に、心の持ち方で見える世界も人生も随分変わって来ます。喩え一本の小さな草花でも、大宇宙、神をみる(感じる)事が出来ます。宇宙の秩序を知り、其の中に神の存在を感じ、真実に気付いて行く・・・・・・。そして、生きながらにして心を神に・・・・・・。

 肉体は大宇宙と調和し一体と成り、魂は超神霊を追い求めて

 一条先生が体験上に於いて知り得た真実の世界です。


 この Web サイトに関する質問やコメントについては、
まで電子メールをお送りください。
 
Copyright © 1999
聖士會館 牟呂支部
最終更新日: 2007/01/08 月曜日